『ミツムネ』という名を初めて聞いたのは、入学式のすぐ後の事だった。

 新入生代表の挨拶で壇上に立った俺は、こちらを見上げる同志の中にひときわ目立つ異色の存在を見つけた。
 そう、まさに『異色』。
 その言葉通り茶髪と金髪の混じった派手な頭。遠目からでもはっきりと判る、着くずした学ラン。ピアスでも気になるのか、しきりに耳元を弄りながら何とか列の中におさまっている男。

「アレは何だ」
 式の後に友人が教えてくれたのは、『ミツムネ』という、苗字なのか名前なのか判別もつかない単語だった。

 それから半年も経たないうちに、その名は校内を駆け巡った。
 最初は三年の不良グループに、一年ながらスカウトされた話。気性が荒いと噂されていたグループのリーダーに、すぐに気に入られた話。他校の連中と喧嘩して、手首を捻挫した話。生活指導の山下と、髪についてやりあったという話。

 私立井尻ヶ丘高等学校は近隣の学校の中でも歴史のあるところで、伝統だの格式だのと書かれた学校案内パンフレットを読んでいた俺にとって、これらの話は実にセンセーショナルだったが、正直に言って、馬鹿なヤツだと思った。
 反抗や抵抗で人の上に立つ事はできない。ましてや暴力で学校を仕切るなど、愚の骨頂。

(本当に仕切りたいのなら……)
 俺はレンズ越しに目を細め、温和な笑顔を作り上げる。古めかしい職員室の扉に手をかけ、できるだけ自然な歩みで担任の元へ歩んだ。
「先生、うちのクラスのプリントを集めてきました。……あとA組の分も」
「ああすまないな、清水」
 職員室で積極的に名を売る。教師の信頼を勝ち取る。学校という狭いコミュニティを掌握するのは、そう難しい事ではない。
「そういえば、もうすぐ委員長選だが。清水は何かに立候補するのか?」
「俺は……」
 答えかけたその時、ガタンと大きな音をたてて扉が開いた。途端、室内がざわつく。
「いい加減にしろォ!」
 山下の怒鳴り声に続いて、ミツムネと気弱そうな生徒が入ってきた。
「痛……ッ! 引っ張んなって!」
 抵抗の声を無視して、山下が彼の腕を雑に掴む。半ば引きずられるように入室したミツムネを、もう一人がおろおろとした表情で追いかけてきた。

「ヨソの生徒じゃ飽きたらず、学内のヤツにまで手ェ出すってのはどういう事だ!」
 鬼のような形相で怒鳴りつけた山下に、ミツムネは無言を決め込む。よく見ると、もう片方の生徒の顎にはまだ新しい傷ができていた。
(殴ったのか……つくづく馬鹿なヤツ)
 横目でそれを見ながら、俺は鼻を鳴らす。レベルの低い猿どもには、征服願望をピクリとも刺激されない。
「聞いてるのかミツムネ!!」
「あぁん?!」
 反抗的な態度を全く崩そうとせず、ミツムネは正面から山下を睨みつけている。攻撃的な瞳。
(……ふぅん)
 何故かそこに芯の強さを見つけて、俺は関心を寄せる。
(馬鹿は馬鹿なりに何かポリシーがあるのか……?)
 と思いかけたところで。
 俺は思わず笑い声をあげた。彼の襟元に『love & peace』と書かれた缶バッジを発見したからだ。

「ンだコラァ!!」
 しまった、と思った時には、ミツムネがこちらに照準を定めていた。その姿はまるで野生の獣。制止する教師達を押しのけ、デスクを乗り越えようと迫ってくる。
「!!」
 咄嗟に防御をしようと思ったが、それより早く声を上げたのは、ミツムネ本人だった。
「痛……ッてェッ!!」
「!?」
 教師用の事務デスクは大きい。それを乗り越えるため右手に体重をかけたようだが、何故か断念し床にうずくまっている。
(……怪我?)
 そういえば、他校の学生と派手な喧嘩をして捻挫したという話を、誰かから聞いた気がする。
「コラ立てっ! お前ら二人とも移動だ!!」
 場所が悪いと判断したのか、山下が二人を連れて職員室を出る。顔に傷を負った生徒が、やたらミツムネを気遣っている。
 俺はその様子を見ながら、ぼそりとつぶやいた。
「……で、殴れるのか……?」
「ん? どうした清水」
「……いえ」
(そんな手で、殴れるのか?)
 事情は知らない。ただ、殴ったのがミツムネでない事だけは、俺にも判った。

「俺、風紀委員長に立候補します」
 馬鹿は嫌いだ。だが、馬鹿なりに予想を裏切るミツムネという男に少し興味を持った。その彼に一番近づく方法は、恐らく風紀委員という立場だ。

(お前をいつか、手なずけてやる)
 そんな心の声が、俺の奥底から聞こえた気がした。